カンジダの経過
昨日病院でカンジダと診断され、薬を処方されました。
薬が効いているのか、夜中や明け方に痒くて起きることもありませんでした。そして痛みもほぼなし!腫れてるような違和感はあるけど…
1日2回塗るように言われたので、朝起きてからもすぐに塗りました!
薬を塗るとスースーします。
しかし、、お昼を過ぎてから、痒みが出てきました…😱
掻いてはいけないと必死で我慢しますが、どこかのサイトかブログで、3回塗るように言われたという人がいたので、塗ってみました…
痒みは見事になくなったのでよかったのですが、薬の用法を調べてみると、1日1回といくつかのサイトにかいてありました💦
看護師さん?助産師さん?に朝晩の2回塗るようにと言われたのに、それ以上塗ったらやばいのかも?!と焦り、次のトイレに行くタイミングでティッシュで少し拭いました…(焦ったくせにすぐには拭わず。)
そしてまさかの、「妊婦への安全性は確立されていない」という文言を発見、、😱😱
大学病院の産婦人科でもらったので大丈夫だとは思いますが、ものすごい不安に襲われました😭
「赤ちゃんお願いだから元気に動いてママを安心させてー😭」と言いながらお腹をポンポンしていたら、ポコン!ポコン!と赤ちゃんが「僕元気だよ!」と返事をしてくれました🥰
なんだかほっこり☺️💓
今、奇皇后という韓国ドラマを観ているのですが、拷問やら妊婦や胎児を殺そうとしたりする描写やらがたくさん出てきて、胎教に悪すぎる💦
…と言いつつ、つい観てしまっています😂
赤ちゃんのためにできるだけリラックスしながら観ようと一応心がけてはいます。笑
話は逸れましたが、カンジダもこのままの調子でいけば一週間後の検診までには治ってるような気がします!(願望)
1日2回塗るという用法をしっかり守り、完治に向けて頑張ります😣🙌
みなさんももしカンジダが疑われるときは、軽い症状のときにできるだけ早く病院受診することをお勧めします💦
カンジダ、、、
お久しぶりです!
全然続きが書けておらずすみません😭
時間を見つけて書いていきたいと思います!
そして実は突然ですが、私、カンジダになりました…
10日ほど前から陰部が痒いなーと思っていたのですが、妊娠によりおりものが増えているし、おりものシートでかぶれたのかな?くらいに思って放置していました💦
今妊娠八ヶ月なのですが、妊娠に気がつく前の産婦人科でブライダルチェックをしたときに、カンジダになってるから膣錠を入れて軟膏も処方しておくからねと言われて、その時初めてカンジダを経験しました。痛くも痒くもなく、全く気がついていませんでした😱
なので今回で2回目なのです。
今回は痒みは日に日に強くなっていき、今朝は痒くてたまらずパジャマの上から掻きまくってしまいました、、
そしてやっとネットで症状を調べたところ、カンジダではないかということに気がつき、そしてお腹の赤ちゃんにも影響がある可能性があるという記事を読み、焦ってかかりつけの産婦人科に電話をしました😣💦
すると、助産師さんにできるだけ早く来てと言われたので、やばいのかな?!とびっくりして飛んで行ったところ…
先生は軽く笑いながら、
「カンジダだね、こりゃかなり痒いでしょう?!中に薬入れとくね!これからはシャワーの時に陰部には石鹸は使わず水で軽く流すだけにしてね」
と言われ、外陰部に塗る軟膏を処方してもらいました。
「妊娠中やプレドニン(ステロイド)を服用してる人は免疫が低下してるからなりやすいんだよ。赤ちゃんには全く影響ないから安心してね」
と言われてとっても安心して帰宅しました。
が、夜シャワーを浴びたあとに処方された軟膏を外陰部に塗ると、塗ったところに激痛が!!😭
円座を使わないと椅子にも座れないほどでした😭
その後4時間ほど経って、完全ではないですが痛みが治まり動けるようになりました。
あの痛みはほんとになんだったんだろう、、
今もまだ少し痛いし、なんか痒みが再開してきた気がする、、
この軟膏を朝晩2回ずつ塗り続けるようにというお医者さんからの指示でしたが、この痛みを経験すると明日からも続けられるのか不安になりました。
でも痒みで眠れないよりはマシなのかな…どうなんだろう。わからない。。
ちなみに処方された軟膏は、テルビナフィン塩酸塩クリーム1%です。
入れてもらった膣炎は何かわかりませんが、白い薬でした。
とりあえず今日は寝ようと思います💦
明日には炎症が治まり始めてくれたら良いな…😢
お休みなさい💤
運命の出会いby婚活アプリ
今日は私と主人の出会いについて書いていこうと思います!
私はCAをしていたこともあり、今まで様々な人を見てきました。
CAになったことで初めての東京暮らしを経験しました。田舎出身の私には刺激が多く、まるでドラマの世界のようで驚くことばかりでした✨
人生経験としては学ぶことも多く、楽しい日々を過ごしましたが、結婚のことを考えると私はどうしても地元でのんびり結婚生活をしたいという理想を消し去ることはできませんでした。
なので私は、目標だった国際線ファーストクラスのサービスも軌道に乗った頃、キラキラしたCA生活から退き、地元に戻って私らしく生きていこう!と決意しました!
心機一転です✨😊
子供が好きなことと、英語が得意だったこともあり、子供用英語スクールのフルタイマーとして転職しました👶
インターナショナルな環境で、大変なこともありましたが、毎日充実した日々を送っていました。
そんな中、国の指定難病であるベーチェット病にかかっていることが判明しました。
去年の4~6月まで二か月間ほど入院し、退院後もコロナ禍ということもあり、免疫がある程度戻るまではパートとして少しずつ働くことになりました。(結局12月までパートになりました)
※ベーチェット病についてはまだ途中ですが過去ブログでお話しているので、よかったらご覧ください^^
そのパート期間中に私は父と近所のゴルフの打ちっぱなしに行ってみました⛳
父はもともとゴルフが趣味だったこともあり、私も時間があるし体力づくりのために行ってみようかと思ったのがきっかけです。
行き始めたらどんどん楽しくなり、気が付いたらゴルフにハマっていました!
叔母からお古のゴルフセット一式をもらい、父もコロナで仕事が休みの日が増えていたので一緒に2日に1回は通っていました!
私がゴルフばかりしている日々の中で、とても仲の良い友達から婚活アプリで出会った人と結婚することになったという話を聞きました!😲
他にも何人か婚活アプリで彼氏ができたという友達がいましたが、結婚できる相手と出会えるアプリってすごい!と興奮していました笑
アプリには色々な人がいるので、自分をしっかりと持って相手を見極めないといけませんが。。
そこで、私も友人たちの波に乗り、婚活アプリを始めることにしました!✨
よくわからないなりに、いいなと思う人がいればいいねをどんどんしていけという友人の助言に従い、私は当時33歳だったので、私の地元の県在住の30代という条件をつけた上で見ていきました。
が、写真やプロフィールを見てもどんな感じの人かいまいちよくわからず…ピンとも来ないし、なかなかいいねすることができません。
しかし女性は男性よりいいねをしてもらいやすいらしく、どんどんいいねがきます。
しかも好みではない謎の人からばかり。笑
やっぱり辞めようかな…と思っているときに、行ったことのある有名神社で七夕の縁結びイベントが行われるという情報が入ってきたので、行ってみることにしました🎋
そこでは悪縁を切って良縁を結ぶというお参り?が行われるとのことで、病気との縁を切って、運命の人と良縁を結ぶぞ!という強い気持ちをもって参戦しました!
当日は大雨でしたが、神社に参拝すると体も心も浄化される気がして気持ちもなんだか軽くなりました😊スッキリ✨
そして帰宅後、アプリを退会する前に念のため5個下の28歳まで年齢を下げてみようと思い、再度見ていくと…
サングラスをかけた写真や蛇を首に巻いた写真があるしゅっとした背の高そうな男性が目につきました。
プロフィールを見ても違和感がなく、どの写真を見ても嫌だという気持ちにならない私のアプリ史上初めての気持ちになりました。
もしかしたらちょっとチャラいかもしれないという不安は少しだけありましたが笑、初めてのいいねはその人にしてみることに🤗
他にも何人かいいねをくれた人で悪くない(言い方。笑)人もいたから、私もいいね返しをしました!
清々しい気持ちになることは、良い気を引き寄せるのに必要なんだなと思いました🌻
結果的にその5個下のサングラスの君が私の運命の相手でした😚
長くなったので、次はその後についてかいていきます🎀
ベーチェット病発覚の経緯④
激痛と下痢で眠れないまま朝になりました。
おたふく風邪のときの倍ほどに顔は腫れていました。
顔色もどす黒く、数日前と同じ人間とは思えないような見た目になっていました。
私は母に、
「救急車を呼んで・・・」
とやっと出る声で頼みました。
しかし母は、救急車を呼んでも先日の救急と同じでしっかりと診てもらえないのではないか、それなら自分が運転して総合病院に連れて行った方がちゃんと診てもらえるのではないか、と悩みに悩んでいました。
私も何が正解なのかわからないまま、とにかくこの痛みをどうにかしてくれという気持ちのみでした。
そして私は、最終手段に出ました。
職場の保護者の方で総合病院の皮膚科の先生がいることは知っていましたが、プライベートと仕事を混ぜてはいけないと思い込みがあり、今までは自分で対処をしようとしてきました。
しかしもう限界でした。
上司に電話し、事の経緯を話し腫れた顔の写真を送り、その保護者の方に連絡を取ってほしいと頼んだのです。
上司はすぐに連絡を取り、私たちの間に入ってくださいました。
その保護者の方は私の写真を見てすぐに、
「これはいけない、すぐに入院してください。今すぐ病院にきて私の名前を受付に言ってください」
と言ってくださいました。
やっと助かった・・・
もう楽になれる・・・
私は安心感に包まれながら、母に運転してもらいすぐに病院に向かいました。
病院に着いたころにはもう歩けないほどになっており、車椅子で移動しました。
先生の紹介があったためか、比較的すぐに皮膚科の検査室に通してもらえ、数人の先生方に診てもらうことができました。
その内の一人の(私と同い年だった)女医さんが突然、
「これ・・・もしかしたらベーチェットかも。。
前の病院で見た患者と似た症状かもしれない」
とつぶやきました。
先生方も、「え、ベーチェット?」とざわざわ。
そこから外陰部や鼻の横、耳の細胞を切り取り(麻酔してもらっていたけど激痛でした涙)、検査に出し、色々診てもらいました。
安心感か、痛みのせいか、その頃の記憶はあまりありません。
その後父と母と一緒に呼ばれ、先生から説明を受けました。
「今検査中ですが、娘さんはベーチェット病の可能性が非常に高いです。
ベーチェット病とは国の指定難病で、原因不明の病気です。
今症状が出ている皮膚炎症や外陰部潰瘍だけでなく、視力が失われる可能性もありますし、血便や嘔吐があるとのことで消化器官も炎症がある可能性が非常に高いです。
でも今の症状を抑える薬もあります!
このまま入院し、検査を続けてるとともに投薬を開始しましょう。」
え…ベーチェット病?難病?なにそれ?
私一生治らないの?
眼が見えなくなるかもしれないの?
結婚できないの?子供も授かることができないの?
え、ほんとどういうこと?
私の頭は真っ白になりました。
親も同じような衝撃を受けていたと思いますが、私の前だからかとても冷静でした。
私の様子を見た先生から一つアドバイスがありました。
「インターネットでベーチェット病のことは調べない方が良いよ。
ネット上では大げさに言われていることも多いし、人によって症状や経過は全然違うからね。
病気については私たちがしっかりと伝えるから、こちらを信じて。」
私はそのまま入院になりました。
コロナ禍なので、親も付き添いで病室にくることはできませんでした。
荷物だけあとで持ってきてもらうことになり、入院手続等をお願いしました。
私は病室に入ってすぐに痛み止めの点滴の投与が始まりましたが、すでに夕方だったので詳しい検査にいくのは翌日からになりました。
痛み止めの点滴が効いてないと看護師さんに毎回伝えるも、これ以上は今は入れられないとの回答で、また長い夜が始まりました。
→⑤へ続く
ベーチェット病発覚の経緯③
こちらの続きです。
長くなってしまいましたが、ベーチェット病が発覚した方や、ベーチェットかもしれないと思っている方の助けになればと思い、細かく書かせていただいています。
さて、症状が出始めてからやっと3日目の朝になりました。
やっとまた何かしらの処置をしてもらえるかもしれない、今度こそ何か効くかもしれないという期待で形成外科&皮膚科の病院に向かいました。
そこでもまず血液検査をし、外陰部の膿を取り検査に回されました。
そして抗生物質(だった気がする…)を注射で入れてもらい、終了でした。
また何も変わらない…いつになったら治るんだろう。この注射は何か効くのかな…
もう何も信用できないような状態になってしまっていました。
お会計を待っていると、吐き気がしてトイレに駆け込みました。
その間に看護師さんや先生が親の元に来て、
「娘さんはもしかしたらコロナかもしれない!総合病院(昨日とは違うところ)へ行って検査してもらった方が良いです!向こうの先生にはこちらから連絡しておくので、向こうから直接電話娘さんに電話してもらうように手配します!お会計も車でさせてください💦」
と慌てふためきながら言ってきたそうです。
テレビでよく聞くコロナの症状じゃなさそうだけど、わからないからとりあえず総合病院の人と電話で話してみることに。
その後電話がかかってきて、今の私の症状について伝えました。
すると、
「うーん。コロナって感じじゃなさそうだけど…。ちょっと家で様子を見てもらって、また何か異変があれば教えてください」
と言われ、コロナ騒動は早々に終了しました。。
→話は戻ります。
そのまま家に帰り、また同じようにベッドで耐え忍ぶ時間を過ごします、
夕方になり、もうダメだーーーとまたなり、次は私が小さなころからのかかりつけの内科を受診しました。
先生なら何かしら対処法を教えてくれるのではないかという淡い期待を胸に、、
先生は私に点滴をし、休ませてくれている間に色々と調べてくれ、昨日の皮膚科へも連絡して検査結果を取り寄せてくれました。
検査結果は忘れてしまいましたが、大したことは書かれていませんでした。
結局調べても調べても原因はわからなかったようで、明日また点滴に来るか、大きな病院を受診した方が良いかもしれないと言われて終了しました。
その日の夜・・・・
どんどん症状は悪化していたので、当然今までで一番ひどい症状になっていました。
血便混じりの下痢、嘔吐、高熱、顔と外陰部の激痛と腫れ。
それでも頼れるのはロキソニンとニキビの塗り薬のみという状況でした。
涙も出ないほど憔悴しきり、じっと横になっていても歩いてもトイレに行っても何をしていても、地獄の痛みが続きました。
次の日、とうとう運命の日を迎えます。
→④へ続く
ベーチェット病発覚の経緯②
季節の変わり目のせいか、体調を少し崩しており、更新が遅くなってしまいすみません!😥
前回のベーチェット病発覚①の続きを書いていきたいと思います。
前回の続き…
最初にニキビのようなものができてから丸一日しか経っていないのに、高熱、血便混じりの下痢、嘔吐、顔と外陰部の激痛が始まりました。
熱冷まシートを顔とおでこに張り、脱水症状にならないようにOS1を無理やり飲み、寝て起きてを繰り返しながら、どんどん症状は悪化していきました。
次の日の朝、熱は37度まで下がり、下痢と嘔吐も少し落ち着いていましたが、もちろん仕事は休ませてもらいました。
そしてニキビ様の出来物ができている顔の右半分と右の外陰部の痛みと腫れはひどくなっていたため、朝一で皮膚科を受診しました。
血液検査と、外陰部の出来物は膿んでいたようで、先生はその膿を取り、検査に回してくれました。
検査結果は翌日出るとのことで、また結果を取りに来ることになりましたが、その日はニキビ用の塗り薬とロキソニン(60mlだったかな?)を処方されました。
自宅に帰ってからも痛みはどんどん強くなり、薬も効かないので、ロキソニンを最低4時間に一度と言われたにも関わらず、空腹時に3時間に一度の服薬を続けてしまいました。。
それでも痛みはなくなりませんでした😰
その結果、胃が荒れたのか、血便混じりの下痢と嘔吐が再び始まりました。
夜になっても、痛みがどんどん増してきていたため、大きな総合病院の救急を受診することにしました。
家族に電話で問い合わせてもらったものの、その日の当直の外科の先生に診てもらうしかないという結論でしたが、何もできず家でじっとしておくのは限界だと思い、病院に向かいました。
コロナ禍だったこともあり、受付で随分待たされ、外陰部の痛みと熱で座っておくこともままならない状態でしたが、父にもたれかかりながら必死で待ちました。
やっと呼ばれて外科の先生二人に診てもらいましたが、言われたことはなんと・・・
「シャワーを浴びながら、顔と外陰部の傷口をぎゅーっと指でつまんで、中の膿を全て出し切ると治ると思うから、家に帰ってからできるだけやってみて」
とのこと。。
「試しにやってみるね」と言われ、外陰部の腫れた傷口をぎゅー!!!👉
「ぎゃーーーー!!!!」
・・・私は激痛で失神するかと思いました。。
でもこれを続けろと先生は言うのです。
号泣しながら、「無理です😭」と伝えるも、それしか治す術はないと断言され、処置は終わりました…
救急や当直とか、そういう病院の仕組みについて私は全然知識がなかったため、なんで入院させてくれないんだろう、なんでちゃんと診てもらえないんだろう、という不信感と辛さで精神的にもどんどん弱っていってしまいました。
大きな総合病院の救急に行くくらいだから、緊急事態なんだということをわかって処置してもらえると思っていたのが間違いでした。。
自宅に帰ってから、先生に言われたようにシャワーを浴びながら指で押さえて膿を出そうと頑張りましたが・・・
はい、無理でした。。
結果としては、無理やりやらなくてよかったと後で心から思います。
前日の夜より痛みも腫れもしんどさも増しています。
明日はどうなるんだろうという気持ちとともに、仕事は今週は行けないかもしれない、私がいなくて大丈夫かなというキャリアウーマンのような心配をしながら眠れない夜を過ごしました。
次の日の朝、腫れと痛みは変わらず。
親も何度か行ったことがあり、よく効く薬をくれるという形成外科と皮膚科を一緒にやっている病院を受診することになりました。
→③に続く
ベーチェット病発覚の経緯①
私が昨年4月にベーチェット病だと気づいた経緯をお話しようと思います。
ベーチェット病とは、口腔粘膜のアフタ性潰瘍、皮膚症状、眼のぶどう膜炎、外陰部潰瘍の4症状を主とし、関節炎、消化器病変、血管病変、神経病変、副睾丸炎を副症状とする国の指定難病です。
原因はいまだ不明ですが、ストレスや疲労が溜まることにより発症することがあるようです。遺伝子素因も関係するともいわれていますし、何が原因かはっきりとわからないから難病指定されているらしいです。
2020年4月某日、突然私は高熱、嘔吐、血便の下痢、ものすごい数の口内炎、そして何が起きているかわからないほどの顔と陰部の痛みに襲われました。こんなこと初めてで完全にパニックでした。
よかったことは少し前にCAを退職し、実家に戻っていたことです。そのときにそばに家族がいなければ私はどうなっていたんだろうと今でも怖くなります…
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
2020年3月まで時を戻します。←
当時私は33歳で、一年ほど彼氏もおらず、CAを退職後は地元に戻り英語の子供用スクールに転職していたため、出会いも全くといっていいほどありませんでした。
転職先の地元は田舎で周りはみんな結婚して子育て真っ只中という状況でした。私も世間でいう結婚適齢期を過ぎているしそろそろ本気で婚活しないとやばいかも😱と、とても焦りを感じ始めていました。
そんな中、新型コロナが流行し始め、世界はパニックに陥りました。日本でも3月辺りから色々な策が取られるようになりましたね。
私の転職先は、就学前の子たちが多くいるスクールだったので、コロナ禍でも子供たちにマスクやアルコール消毒を徹底させることは難しく、みんなでスクールの消毒やスタッフの手洗いうがい、外出自粛、子供たちの体調や様子をしっかり見るなど色々なことを徹底していきました。
私も含め高齢の家族がいるスタッフや子供たちも多くいたこともあり、みんな絶対にウイルスを持ち帰らないように一生懸命でした。
しかしスクールは日本人スタッフだけでなく、外国人スタッフも多くいたため、人によってコロナへの考え方が大きく違うことに驚きました。
また、ただでさえ3月4月は繁忙期で忙しい時期なのに、それに加えてコロナ対策に時間を取られ、毎日残業で疲労困憊でした。毎日ちょっとしたことで涙が出るほどストレスが溜まっていましたが、当時はストレスで泣いているとは気づいていませんでした。。ただ仕事で色々あって辛くて泣いていると思ってた💦
そしてそんな忙しい日々を送っている中、4月中旬に大好きな祖父が他界しました。
老衰です。
少し前からご飯や飲み物が喉を通りにくかったり、家で高齢の夫婦二人でやっていくのは難しいこともあったりで、一か月ほど入院していました。
体はどこも悪いところはないんだけどこのまま逝ってしまうかもしれない、と私は親から聞かされていたため、覚悟はしていました。
祖父はみんなを心から愛し、みんなから心から愛された最高の人生だったと思います。
自慢の祖父です😊
コロナ禍のため同県在住の親しい親族のみ出席した葬儀が無事に終わり、ほっとしたのもつかの間…
その日の夜、私は鼻の横と外陰部に一か所ずつ小さなニキビのようなものを見つけました。普通のニキビより少し痛みがありましたが、両方ともニキビの薬を塗って普通に過ごしました。
次の日、他人のニキビなんて気づいたこともないような弟に、鼻の横のニキビを指摘され、あれ?もしかして大きくなってるかな?弟に言われるなんて珍しすぎる、と不思議に思っていました。
そこからその顔のニキビと外陰部の出来物は両方ともどんどん大きくなり痛みも強くなっていきました。
そして夜には熱が39度まで上がり、血便交じりの下痢と、嘔吐を繰り返すようになりました。最初にニキビに気が付いてから丸一日ほどしか経っていません。
これはなんなんだろう?!ニキビの傷口から何かに感染したの?!と私を含め家族もわけがわからず、その日は日曜日だったので、とりあえず次の日の朝病院に行くことにしました。
→②に続く